真(まこと)ひとつで道は開けてゆく

 真砂まさご教会初代の奉仕者であった福嶋儀兵衛ぎへえ師が大阪の南区高津十番町に「金儀(かなぎ)」と称して金物商を営んでおられた頃、金光教教祖のもとにはじめて参ぜられたのは慶応三年の暮である。その次に心から御引寄せを頂かれたのが明治二年七月一日のことである。教祖はいろいろとお話のあった末「人を助ける身になりなされ」そして「信心して神になれ」と御教示くだされた。その後明治六年の正月に師の四十二才厄晴れの礼参りをされたとき、小さな紙の幣串を下げ渡されて「これを拝む目あてにしなされ」と師は賜った(現在教会に奉安)。師はこれを拝受して痛く感銘せられるとともに、その時の数々の御理解に厚く教祖を敬慕し謹んで生神金光大神の比礼を瞻仰せんぎょうせられた。爾後しばしば教祖のもとに参ぜられて〝神も立ち氏子も立ち行く取次の道〟の御理解をいただかれ、尊く有難く会得して信心心行に一段の精進をつづけていられた。

 その後、師はかねてから教祖より神言を頂いていられたことを奉行し奉らむと「奉教の念願」と「道の成就」のために、意を決して専心布教のため取次の御用に従われることになった。

 明治十七年六月十二日北区絹笠町に金光教正栄組講社なる者を設置せられた。幾多の困苦に耐えて明治二十年九月二十四日布教公認の許可を得て、ここに真砂教会の組織が確定せられた。

真砂布教八十周年鑽仰記念誌「真砂教会の由来」より